Mixed race student studying in library

うつ病に限ったことではありませんが、病気を受け入れるまでには、拒絶や葛藤があると思います。筆者も例外ではなく、受け入れられるようになるまで相当の時間を要しました。

 

そこで今回は『うつ病を受け入れるまで』をテーマに、当時を振り返っていきます。

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うつ病との診断結果

うつ病と診断された当初、そのことをとても受け入れることが出来ませんでした。

 

筆者がうつ病に対して抱いていたイメージといえば、

気持ちの弱い人がかかる病気で甘えが原因。自分を強く持っていればうつ病になることなどない」というものでした。

 

ですから、自分がうつ病と診断されたことは「弱い人間で甘えている」と言われているように感じ、情けなくなって落ち込むこともしばしばありました。

そんなある時、インターネットで「うつ病になりやすい性格」という情報を発見しました。

うつ病になりやすいタイプ

・神経質で几帳面
・道徳的で常識的、ルールを固持する
・仕事熱心で責任感が強く、仕事を人に任せられない
・仕事や家事など、徹底して行わないと気が済まない完璧主義
・「自分さえ我慢すればよい」と良く思い、感情を自分の中で押し殺してしまう
・人から嫌われることを恐れて自己主張せず、人に頼まれると断れない
・他人からの評価が常に気になり、時に被害妄想的な受け止め方をしてしまう
・頑固で融通が利かず、臨機応変に対応が出来ない

うつ病になりやすい人とは「弱くて甘えている」のではなく、「いつも一生懸命すぎて、いい加減を知らない」ことだと気が付いたのです。

仕事を休職する日々

メンタルクリニックに通うようになってから、緩やかに体調は良くなっていきましたが、きちんと出勤出来ないこと、ミスが無くならないことやうつ病が完治しないことへの焦燥感からか、突然悪くなる日もあり、皆勤出来た月はしばらくありませんでした。

体調不良から18か月目、とうとう解雇されてしまいました。

当時は「もう少し時間をもらえれば前のように働けるようになる」と色々な人に泣きつき、上司を憎らしく思いましたが、今思えば「こんなにも長い期間、よく猶予を与えてくれていた」と感謝の思いで一杯です。

なんで仕事を続けていたか

うつ病の治療を始めると、症状に「波」があらわれます。好転と暗転を繰り返すことで、徐々に調子が上がっていくのですが、良い方への振り幅が大きいと、振り子のように悪い方への振り幅も大きくなっていきます。

筆者はこの振り幅がとても大きいタイプのようで、好転した時は「もう大丈夫。このまま何事もなく完治する」と思えるほど体調が良くなるのです。

 

そして、完治したと思い、他の方たちと同じように就職活動や仕事をしてしまうと、一気に暗転し以前よりも悪い状態が続くようになってしまうのです。

医師への疑い

そんな時は思考も悪い方へ向いているため、「薬を服用しても完治しないのであれば、飲まない方がよい」と思い治療を中断し、「この医師には治せないのではないか」との思いから

転院しようと考えてしまいました。

 

実際に転院を目論んだことがありますが、転院予定先の医師にこのように言われました。

「今まで行っていた病院は、3年も通っているので、経過は自分より詳しいはずです。そのまま治療をお任せした方が筆者さんのためだと思います」

「当院に転院したとして、今回と同じような状況になった場合、また転院をするのですか?今はまだ、完治へ向けて一歩ずつ進んでいるところです。焦らずに今までの先生とじっくり治療をするのが、ベストだと思います」

 

その後、恥を忍んで今までの病院へ行き、再び治療をお願いしました。

うつ病と仕事

筆者は元気だった頃、「働かざる者食うべからず」を座右の銘にしていました。

 

それぐらい「働く」ということに重点をおいていたのに、退職後は、病気とはいえ働かずに家で横になっている状態が続き、そのことが筆者を追い詰めていました。

収入はないのに生きているだけでお金は必要になる。自分などこの世に存在なくてもよいのではないか。

そう考えることが長い期間ありました。

 

この頃は、今までで一番低迷していた時期だったと思います。

頭をよぎった自殺

自分がこの世からいなくなったとしたら、母親や姉妹が悲しむのは十分理解していました。ですが、

「悲しみは一時のもので、人はいつか死んでしまうのだから」

「このままの状況で迷惑を掛け続けるならば、いっそのこといなくなった方がきっとみんな清々する」

という自殺の考えが頭から離れなかったのです。

 

そして、こんな状況に追いやるきっかけを作った父親を道連れにしようと、どうすれば失敗せずに実行できるかと計画していました。

不幸なことが起こらなかったのは、姉夫婦をはじめとする身近な人たちが、思い止まらせてくれたからです。

大切な家族の存在

計画実行前、姉と電話で話をした際に「様子が変だった」と会いに来てくれました。

 

そして問い詰められた筆者が計画のことを白状すると、「迷惑をかけられていると感じていたら、こうして様子を見になど来ない」「無理をしなくて良い。ゆっくり治していけば良いから、母親を不幸にするようなことだけはしないで欲しい」と説得されました。

筆者の姉は、温厚な人でしたので、まるで人が変わったように筆者を叱責する姿を見て、いかに自分が愚かで恐ろしいことを考えていたのかと気付かされました。

 

一生忘れることはないですし、姉を悲しませることをしてはならないと胸に深く刻まれています。

うつ病を受け入れるまで

現在体調は安定していますが、ストレス耐性や嫌なことがあった際の切り替えが、まだ上手く出来ないため働きに出ることは難しい状況です。

ですが、規則正しい生活を送りながらこのようにコラムを執筆するなど、在宅ワークは出来るようになりました。

「与えられた仕事」をしている実感がわき、誰か一人でも自分がお役に立てている、そう思えることが今の一番の支えになっています。